こんにちは。
この記事は約1万文字にわたる論説記事になります。
撮り鉄について知りたい方、そして最近の鉄道撮影における問題点について知りたい方は是非ご覧ください。
論説記事なのでいつもと口調が違います。
見出しをつけているので興味がある部分だけでもお読みいただければと思っています。よろしくお願いします!
最近、タイトルにもあるように撮り鉄の行為を妨害したり、撮り鉄の撮影行為に因縁をつけて脅迫、暴行する事件が後を絶たない。
私も鉄道を趣味として長いですが、最近は特に駅撮をしていると喧嘩を売られないか
常にピリピリしている。
というのも私自身、朝の駅でホームを撮影していて喧嘩を売られたことがあるからだ。
最近はスマホもネットに簡単に画像や動画をアップできるからか、警戒されたり因縁をつけられる対象となってきた。
スマホでも一眼レフでも同様である。
今回はこのことに関して自説を交えて解説したいと思う。撮り鉄とはいったい何者なのか少しでもわかってほしいという思いで
この記事を書いている。
それはまさに撮り鉄狩りー去年秋の例だと、私が朝、ホームで撮影をしていると”何撮ってんねん、俺のこと撮ったやろ!”
突然、大柄な男が因縁をつけてきた。相手は50代くらいのスキンヘッドの強面のおじさんで、私は車内に入って車掌に仲裁を求めた。
すると駅員は男の元に行き話を聞いた。
ここまでは良かったが、駅員はなんとこの男の何もしてないという言い分を一方的に鵜呑みにして去って行った。
110番して警察を呼ぶという手もあったが、遅刻するのでしなかった。
ちなみにその駅は阪急線のK駅。余談だが阪急K駅の駅員の対応はひどいと有名である。
おそらくこの男、駅員がなあなあで済ませたところを見ると相当喧嘩慣れをしている。
駅や車内などのあちらこちらで因縁をつけ、喧嘩を売っているのでしょう。
だから日常的にこの男の迷惑行為が起きているが、鉄道会社としては電車が止まれば損害となるため大事にはしないのだ。
他にも電車内でいきなりガンつけたやろ、殺すぞと脅され110番したりなどあった。
本当に阪急のK駅周辺は頭のおかしな輩が増えすぎである。
海外(ニューヨーク)でも駅構内(コンデジで撮影)や街中(一眼レフメイン)で撮影してきたが喧嘩を売られたことは一度もなかった。
いまの日本は本当に治安が悪い。
10年ほど前まではこちらが撮影をしていても気にしないか、フレームに入らないように配慮する人がほとんどであった。
しかし、最近は私が黄色い線の内側に立って撮影しているとその前を平気で横切って
駆け込み乗車する人が非常に多い。
この”電車と自分との間の”スペースはあなたのために空けているのではない。
安全確保のために空けているのだとここで強く言いたい。
本当に高価なカメラにぶつかられそうで危険極まりない。
私はフルサイズ一眼を持っているが、フルサイズだと本体だけで最低20万~30万、フラグシップなら100万近いものもある。
それにレンズが10万以上する。特に高価な望遠レンズになると車が買えるほどの値段(200万~)する。
普通のサラリーマンの月収以上の高価な機材たちだ。
まあ高価でなくてもぶつけたりしないように機材を丁寧に扱っている。
こう書くと機材の自慢をしているのか?と思うだろうがそうではない。
こういう自分にとって大切なモノを扱っている人が駅にはいるということを知ってほしいのだ。
あなたで考えてみてほしい。
あなたが車が好きで数百万かけて改造した車があってそれが何者かに傷つけられたら直ったとしても許せないだろう。
それと同じことだ。
こう書くと結局金だろと言いたくなるだろうがそうではない。
私はもうすぐ20年モノになる当時3万円で買ってもらったママチャリを修理して大事に乗っている。
今の家に引っ越す前のマンションは駐輪場の屋根が狭く、横に置いたらスペースが足りないため縦に3台並べたりしていた。そのためいつも後ろの自転車は雨ざらしになっていた。
そこから持ってきたサビだらけのママチャリだ。
それを修理してもらううちに愛着が沸き、今ではバイクでいうと旧車扱いになるような長い年数乗っている。
話は戻るが、もし駆け込み乗車でもされてぶつかられたら転倒してカメラが壊れてしまうかもしれない。
でも当のぶつかった本人は駆け込み乗車に成功してドアは閉まり、逃走、、、ということになりかねない。
なので私は特に乗車側のホームで最後尾の車両付近で発車直前に撮影しているときは特に
神経をとがらせて撮影している。
このことは最近阪急の梅田駅で撮影をしていて顕著になっているので阪急電鉄に意見を申し入れたいと思う。
撮り鉄だけでなく周りの一般人を巻き込む非常に危険な行為だ。
レンズも同様だ。
駅では誰がいきなり走ってきてぶつかってくるかわからない。
一度階段から飛び出してきて横も見てないサラリーマンにぶつかられたことがあった。
ただレンズにはキャップをしていたため無事だった。
私はいつも持ち歩くときは面倒でもレンズにキャップをしている。
それはこのような事故を防ぐためだ。
ぶつかられてレンズに傷でも入ったら一巻の終わり。
なので撮影しないときはレンズにキャップは絶対だ。
海外の話になるが、景色に夢中な女性が自由の女神像のところで私に軽くぶつかってきたことがあった。
だが、私はそのときもカメラレンズにキャップをしていたためレンズは無事であった。
そして最近、最初に挙げた撮り鉄狩りというとんでもない行為が横行していることをご存じだろうか?
撮り鉄が駅などで撮影をしているとフレームに割り込んだり、撮影行為に因縁をつけたりして妨害、時によってはカメラを壊したり暴行することもあると聞いている。
ここまでやれば当然犯罪で警察が動くこととなるのだが、このことに関してなぜかほとんど語られることはない。
マスコミは撮り鉄のみを一方的に悪者にし、社会を分断させ撮り鉄=悪だから何をやってもいいという論調に持っていきたいのか?
違うなら即刻辞めてほしい。
スマホの台頭でネットにアップされることを嫌う人が増えているからなのか
知らないが、相手はスマホだろうが一眼だろうが因縁をつけてくるらしいのでそれは関係ないようだ。
とはいえ、携帯電話のカメラが高性能になってきてからこういう撮影行為に因縁をつけてくる輩が出てきたように感じるのも撮影を長くやっているからかもしれない。
カメラを回しているときに周りの空気感が10年前とは明らかに違うのだ。
結局撮る側、撮られる側双方の配慮がこの問題のカギだと思っている。
先に言っておくが、撮り鉄側も一般人も他人に配慮ができる普通の人がほとんどである。
撮り鉄も人が多かったりするところでは極力撮影を控えるし(どうしてもラッシュ時に撮りたい車両があるなど仕方ない時もあるが)、一般人も撮り鉄が撮っていればフレームに入らないように屈んで通行したりしてお互い譲り合っているし、私もそうしている。
当たり前だが、一般常識として前に先客がいれば基本その前で構えない。
ただし、一番前以外では入ることも結構あるし入られることもあるが一番前だけは絶対ダメ。
一番前の人は前に人がいない前提で構図を考えているからだ。
前に入られたら写りこんでしまい邪魔となる。
これが2番手以降だと、既に前に人がいるためさほど邪魔にもならないし、文句を言われたこともない。
1番手の人を避けるために構図を右よりにしているため自分の前に入られてもその人が写りこむことはほぼない。
あと黄色い線からはみ出るのは撮り鉄以前にマナー違反で危険行為なので黄色い線は超えない。
こんなの当たり前だが、昔は撮り鉄の先輩が教えていたのだ。
だからマナーはよかったはず。でも今はそういう先輩もいなくなった上に”にわか”ファンが増えてきてマナーがめちゃくちゃになっているのも否めない。
ただし、先ほど述べたように年間数十回撮影をしている私だがトラブルを見たことはほとんどない。
トラブルと言ってもいわゆる一般人に対する”罵声大会”のようなものではなく、
黄色い線からはみ出て撮影していたのを駅員に注意された程度だ。
まあ黄色い線からはみ出るのも悪い。でも一般人だって先に上げた駆け込み乗車とか危険行為をやっているじゃないか。
それなのに撮り鉄だけを問題視して排除しようとする風潮を黙っているわけにはいかない。
このままでは駅での撮影行為そのものが禁止にされかねない。
以前、本当か知らないがJR東日本のある支社で鉄道の撮影を禁止するという噂が出回ったことがあった。
私は関西在住なのでこのことについては一切知らないので詳しいコメントは差し控えるが
これが事実ならとんでもないことだ。
まあJR東日本は前面展望の撮影を制止したりいろいろうるさいと聞くので
個人的に撮影禁止になっていてもおかしくないと感じてしまうが。
私の管轄のJR西日本や阪急電鉄は前面展望を撮っていて注意されたことはない。
JR西日本に関しても対応は10年前より格段に良くなっている。
しかし、撮り鉄の迷惑行為のためか福井県敦賀駅に近い、新疋田駅ではホームに三脚禁止という張り紙が貼られている。
こういうことが全国で起きたら非常にマズいことになる。
というのも駅で撮影禁止なんてのは駅員や警備員を巡回させて注意して回れば簡単だからだ。
ちなみに海外の鉄道を撮る方の間では常識となっているが
海外では日本のように鉄道を自由に撮らせてくれない。
アメリカではニューヨークの地下鉄7号線のフラッシングのメインストリート駅で
駅員に聞くと理由を聞かれ、観光客で撮影したい旨を伝えると
撮影はダメだ。警察に捕まる?(policeman なんちゃら~と言っていて聞き取れなかった。早口の黒人女性)と言われた。
グランドセントラル駅の駅長室でも聞いてみた。すると地下鉄は管轄でないからわからないが、撮影には許可がいるとか言われなぜか
メディア用の連絡先を渡された。
ちなみにバス車内の撮影が禁止されているのはカメラ関係に詳しい人の間では有名な話(バス会社にもよるかも?)。
私は知らずに阪急バスで撮影して運転手に怒られたことがある。
どうやら肖像権の問題らしい。
そして、ネットで撮り鉄問題について検索していておかしいと思ったことがいくつかある。
1つ目は撮り鉄はみんな頭がおかしい。キチガイであるという意見が多数を占める日本社会だ。
これにはノーを突きつけたい。
撮り鉄はキチガイ、頭おかしいなんて言っている人はおそらくほぼ全員が
”一部の”撮り鉄の迷惑行為や犯罪行為(撮影するために勝手に田んぼに水を張ったり、木を切ったりなどの器物損壊罪が多い)のニュースや動画を見て言っているのだと思う。
しかし、これは本当にごく一部で大多数の撮り鉄はまともであると断言する。
確かに多少変わった人も多いが、これは鉄道に限らずどの専門家集団でも同じである。
自分の好きな分野を極めた者はどの分野であれ、一般人から理解しがたい境地に達しているため
周囲から見るとおかしく=異常に見られがちなのである。
もし、周囲に鉄道趣味の人がいなければ上のような考えを持つのは偏見である。
仮にそのような人物がいたとしてもその人が撮り鉄のすべてではない。
一体、あなたは撮り鉄を全員知っていて言っているのかと言いたい。
最低でも統計を取れるだけの人数(数百人)の撮り鉄の知り合いがいるのか?いないだろう。
私は数学を専門としているので非論理的な考えには納得できない。
撮り鉄のことについてあまり知らないのであれば、きちんと駅で撮影している人の行動を見てほしい。
罵声を上げているだろうか?人がカメラの前を横切っただけで怒鳴るだろうか?
きちんと見てから言ってほしい。
私は人が通るときはカメラを下げている。
そのときマナーのいいひとは
お辞儀をしてくれる人もいる。
こういう思いやりがあったのがこれまでの日本であった。
今では自分の考えが絶対でそれ以外は認めようとしないような考えの人が増えたように感じる。
次に、問題視しているのは
撮り鉄=障がい者というレッテル貼り。
これは撮り鉄というワードを検索するときに
サジェストワードに出てくるが、とんでもない偏見だし何より障がい者に対しても非常に失礼だ。
確かに撮り鉄にはアスペルガーや知的障がいなどを伴っているケースもある。
発達障害の検査の問診で鉄道が好きかという問いがあるという噂があるくらいだ。
しかし、全員がそうでは当然ないしこういう人は障がい者=知的障がいくらいの浅い考えしかない。
障がい者と一口に言っても身体障がい、知的障がい、精神障がいの3種類あり、発達障がいは精神障がいに含まれる。
こういう基本的なことも知らないで
撮り鉄=障がい者とレッテルを張ってしまうのは非常に危険である。
知らないモノ=異質だとして排除する思考とまさに同じである。
なので撮り鉄=障がい者と揶揄するのは撮り鉄に対しても障がい者に対しても非常に失礼にあたるということを肝に銘じてほしい。
なお、撮り鉄は鉄道とカメラ(撮影行為)が好きな集団なので、乗り鉄(鉄道旅行が好き)などとはかなり違った人間に見えるかもしれない。
しかし鉄道ファンという大きなくくりで見ると乗り鉄も撮り鉄も同じである。
私は数学を専門としている関係でなんでも分類したくなる。
阪急の車両の何系の車体写真や動画、車内の内装などの違いなどを分類するのも面白いと思うのだ。
窓の個数も2つにわかれているもの、3つにわかれているものと違いがあるし、電車の顔といえる部分にもその形式の個性が出る。
最近だとかわいいと人気を博している阪急電鉄のミッフィー号について種別ごとに(普通、急行、特急など)分類作業を行っているところだ。
一応すべての種別についてミッフィー号が存在することが時刻表で証明されてはいるが、実際にすべての種別の写真を集めて分類したいのだ。
こういうことにこだわりがあるのが”数学者チック”なのかもしれない。
数学については、数学科の大学院を出て修士号を持っているので専門家と言えるレベルである。
撮り鉄とは何者かー非撮り鉄と撮り鉄の違い、いわゆる撮れない鉄と撮り鉄
撮り鉄は鉄道写真を趣味とする者だが、その中にもこの構図と決めた構図にこだわる者(ガチの撮り鉄)、観光列車や新幹線など一般人と同じような車両のみを撮る者(乗り鉄に多い)、いろんな電車を撮影して分類しはじめる者、動画、特に前面展望を撮って景色や時には車両ごとのモーター音の違いなどを楽しむ者(音鉄にもかぶる)、車で撮影場所に行き電車を撮影したらそのまま車で帰る者などその生態は多岐に亘る。
共通するのは鉄道が好きだということ。
気づいた方も多いだろうが、この中で乗り鉄に近い趣味の方は鉄道番組に出演する俳優さんなどでもいるのでごく普通の一般人だ。
でも観光列車でもないごく普通の通勤列車などを撮るようになると少しずつ”撮り鉄の血”が濃くなる。
私みたいに車両の分類を始めたり、内装の違いを見出そうとしたりすると
もうこれは完全にオタクの領域(笑)
ちなみに私は普通の日本人どころか海外初心者ではほぼ意味不明で逆方向に乗ってしまうニューヨークの地下鉄に30回以上乗り一回も乗り間違えなかったという快挙を成し遂げた!
エアトレインは意味不明だったので駅員に聞いたが、これは地下鉄ではないので除外。
これも英語力と普段の鉄道関係の活動のおかげ。
同行した英語ができない母に聞くと、あんた初めての海外やのにスイスイ
行ってニューヨーク住んでるみたいやなって言われたのもいい思い出。
今度、機会があればニューヨークの地下鉄の乗り方についても解説したいと思う。
慣れると東京より簡単かも!?
最後になるが、この記事をお読みになられている方は
決してしないとは思うが、駅などで鉄道を撮影している人に対し妨害したり、まして因縁をつけたりすることは決して行ってはならない。
私たちブロガーにできることは自分の考えを文章として発信し、鉄道ファンとそれ以外の人がお互い気持ちよく駅や列車を利用できるようにしていくことだ。
一人ひとりの意見で社会を変えよう。
しかし悲しいかな、このような他人に対し因縁をつけたりなどの
問題行動を起こす人間は私のこのブログなど検索すらしないのである。
追記(2026年1月)
日本の鉄道で「撮影する自由」は本当に失われつつあるのか
――阪急電鉄での体験から考える、コロナ以降の社会心理の変化
最近、日本の鉄道や公共空間で「撮影」に対する空気が明らかに変わってきていると感じる。
私は鉄道ファンであり、阪急電鉄の株主でもある。
これまで長年、駅や車両の撮影をしてきたが、近年ほど「撮影=悪」のような扱いを受ける時代はなかった。
2026年1月13日、阪急電鉄の特急新開地行き車内で動画を撮影していた際、駅員から
「他のお客さんに迷惑だから」
という理由だけで、一方的に制止された。
しかも「車内はダメだが、車外からなら撮っていい」という、まったく一貫性のない指示だった。
私は大声を出したわけでもなく、誰かにカメラを向けたわけでもなく、ただ車内風景を撮っていただけである。
公共空間の撮影は本来、違法ではない
法律上、公共空間で偶然写り込む通行人や乗客の肖像権は、原則として違法にはならない。
判例でも、雑踏の撮影や風景撮影は正当行為とされている。
もちろん、
・執拗に特定人物を撮る
・プライバシーを侵害する
・嫌がる相手を追い回す
こうした行為は論外である。
しかし、
「写り込む可能性があるから撮影自体がダメ」
という理屈は、法的にも社会的にも成立しない。
それを現場の裁量だけで制止することこそ、むしろ問題ではないだろうか。
なぜここまで撮影に厳しくなったのか
この変化は、明らかにコロナ禍以降だと感じている。
・マスク文化による顔の隠蔽意識
・プライバシー過敏化
・他人への警戒心の増大
・「勝手に撮る=悪」という短絡的道徳
撮影行為そのものが、まるで攻撃行為のように受け取られる空気が生まれた。
実際、寿司チェーン、ミスタードーナツ、カフェなどでも「撮影禁止」の貼り紙が急増している。
迷惑系YouTuber対策、炎上回避、リスク管理――その結果、一般客まで一律で締め出される。
しかし本当に危険なのは撮影行為ではない。
問題なのは、迷惑行為をする人間である。
バイクが危ないのではなく、危険運転が危ないのと同じだ。
車内撮影禁止は、鉄道文化そのものを否定している
「車内は撮影禁止、車外から撮影してください」
今回、私はそう言われた。
しかしこの理屈は、冷静に考えると極めて不合理だ。
阪急にはミッフィー号、洛楽、トムとジェリー号、カービィ号、プライベースなど、
車内そのものがコンテンツになっている列車が数多く存在する。
洛楽は京都風の内装で、吊革、壁面、座席配置までデザインされている。
ミッフィー号は広告部分すべてがミッフィー仕様だ。
これらは「外観だけ撮ればいい」ものではない。
内装こそが魅力であり、記録価値のある対象である。
それにもかかわらず、
・車内はダメ
・車外はOK
という線引きには、合理性がまったく存在しない。
さらに言えば、
「観光列車はOK、通勤列車はNG」
などというルールを仮に作ったとしても、
それはそれで意味不明である。
なぜなら、通勤列車の内装こそ、時代を映す文化資料だからだ。
鉄道写真は“記録”であり“文化”である
50年前の大阪駅の路面電車、
昭和の駅構内、
昔の通勤車両の内装――
これらの写真は、今では極めて高い資料価値を持っている。
もし当時、
「人が写るから撮影禁止」
「車内は迷惑だから禁止」
という社会だったら、
私たちはその記録の大半を失っていたことになる。
つまり、
撮影禁止社会は、未来の記録を破壊する社会なのだ。
撮影できなければ、文化は消える
撮影できなければ、
・車両デザインの変遷
・内装の進化
・時代ごとの雰囲気
・利用者の空気感
すべてが記録されない。
それは単なる趣味の問題ではない。
社会の記憶を消す行為である。
問題なのは「撮影」ではなく「迷惑行為」
本来制限すべきなのは、
・大声を出す
・進路を塞ぐ
・フラッシュを焚く
・長時間居座る
・他人を執拗に撮る
といった「行為」であって、
撮影そのものではない。
撮影=悪
という短絡的な発想が広がれば、
社会はどんどん記録不能になり、
息苦しくなっていく。
こんな社会にしてはいけない
鉄道は公共財であり、文化であり、記録対象である。
それを
「撮られるのが嫌な人がいるから」
という曖昧で感情的な理由だけで、
一律に制限していく社会は、
必ず後で後悔する。
私は、
こんな社会にしてはいけないと思っている。
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撮り鉄叩きが社会を歪めている
撮り鉄の一部の迷惑行為が、メディアで繰り返し報道されるたびに、
「撮り鉄は99%悪」
「撮影禁止にしろ」
という極端な意見が正義のように拡散される。
だが、ほとんどの鉄道ファンは静かに撮影している。
迷惑行為をしているのはごく一部だ。
にもかかわらず、社会は「撮影する人=問題人物」というレッテルを貼り始めている。
その結果、現場の駅員や警備員も、
「トラブルを避けるために、とりあえず止める」
という防衛的対応に傾いているのではないか。
阪急電鉄の矛盾
阪急電鉄は、ミッフィー号、トムとジェリー号、カービィ号、プライベースなど、
明らかに撮影需要を前提とした列車を走らせている。
外国人観光客も普通に撮影している。
それなのに、一般利用者が普通に撮影すると制止される。
これは明らかに矛盾している。
撮影を促進する一方で、現場では撮影者を警戒対象として扱う。
企業としての姿勢が統一されていない証拠だ。
JR西日本は2017年にすでに正しい線引きを示していた
興味深いことに、JR西日本は2017年の時点で、撮影に関して非常に明確で合理的な公式見解を示している。
その回答要旨はこうだ。
・撮影自体は禁止していない
・許可は不要
・安全と迷惑防止を守れば問題なし
・鉄道イメージを著しく損なわない範囲で利用可能
つまり、撮影は原則自由であり、制限すべきは「行為」であって
「撮影という行為そのもの」ではない、という考え方である。
これは私が今回主張している内容と完全に一致している。
同じ関西の大手鉄道会社でありながら、JR西日本は理性的で一貫したスタンスを持ち、
阪急電鉄は現場裁量に依存した曖昧な対応を続けている。
どちらが公共交通機関として健全なのかは、言うまでもないだろう。
阪急との決定的な違い
阪急は
その時々に協力をお願いする場合があります
現場判断
という 裁量依存型。
JRは
原則自由・迷惑行為のみ制限
という ルール型。
ここが最大の差です。
近畿日本鉄道の公式回答(2023年)
私は2023年、近畿日本鉄道に対しても駅構内撮影について問い合わせを行った。
その際の回答は、極めて明確で理性的なものであった。
(ここに原文要約)
近鉄は、撮影行為そのものを問題視していない。
問題なのは、迷惑行為や犯罪性であると明確に線引きしている。
この姿勢は、JR西日本のスタンスとも一致している。
つまり関西の大手鉄道会社の中で、
阪急だけが「撮影=問題」という旧来的な裁量運用に留まっている可能性がある。
警察や社会全体の空気も同じ
団地前に停まっていたパトカーを撮影しただけで、警察官から
「何してるの?」
と声をかけられる。
パトカー撮ったらダメなのか?と聞くと、いやスマホ向けてたからと意味不明な返事。
一方、アメリカでは警察車両の撮影は普通に許されている。
私もニューヨークのブルックリンブリッジで入口の端の方に警察車両が止まっていたが
そのまま動画撮影を続行した。
何も注意されることなく問題はなかった。
日本社会は今、
「撮影される側の不快感」を過剰に優先し、
「撮影する自由」を必要以上に抑圧する方向に傾いている。
これは健全な自由社会の姿だろうか。
本当に必要なのは「撮影禁止」ではなく「線引き」
必要なのは、
・迷惑行為のみを制止する
・撮影行為自体は原則自由
・明確なガイドライン
・現場裁量の暴走防止
この線引きである。
すべてを禁止すれば、トラブルは減るかもしれない。
しかし自由も同時に失われる。
母は言った。「まるで中国みたいな監視社会やな」と。
中国では監視カメラと信用スコアで国民の行動が評価されるという。
日本は制度ではなく、空気で同じ方向に進んでいるように感じる。
撮る自由、記録する自由、残す自由が、いつの間にか「迷惑」という言葉で奪われていく。
私はこう考える
私は、公共空間での撮影自由を守りたい。
誰かを傷つけるためではない。
文化を記録し、風景を残し、鉄道という財産を愛するためだ。
撮影する人間を敵にする社会ではなく、
迷惑行為だけを正しく排除できる社会であってほしい。
結論
日本は今、静かに「自由を縮小する方向」へ進んでいる。
その象徴が、公共空間での撮影に対する過剰な規制と圧力だ。
私は、これを黙って受け入れたくない。
文化を守るために、
私は声を上げ続けたい。
次回はうめきた新駅の開業の記事でも書ければと思います!
以上です!お読みいただきありがとうございました!
